投稿者
 メール
  題名
  内容 入力補助<IMG>タグが利用可能です。(詳細)
    
 URL
[ ケータイで使う ] [ BBSティッカー ] [ 書込み通知 ]


初めまして

 投稿者:OIVIS  投稿日:2011年 6月10日(金)22時04分14秒
返信・引用 編集済
  創説研のホームページから参りましたオイビスと言います
初めまして
一連のお話夢中になって読ませて頂きました
大変な労作だった事と存じますが何もかもが新鮮でした
あれだけの貴重なお話をネットで拝聴できましたのは幸運な事だったと感謝しております

今後とも愉しみにしております
時節も時節ですがお体大切に頑張って下さいませ
ありがとうございます
 

追加です

 投稿者:中島タロー  投稿日:2011年 6月 8日(水)10時30分12秒
返信・引用
  私が申し上げたことを、禅宗系の方が好みそうな言い方に直しますと(私の主観に過ぎま
せんが)「いまここに、いまここは無い」といったところでしょうか。
いまここに引っかかるな、いまここを忘れろ、それが真にいまここに生きるということだ
、といった言い方を禅僧だったらしそうな感じがします。
 

お返事遅れました

 投稿者:中島タロー  投稿日:2011年 6月 8日(水)10時16分51秒
返信・引用
  私の言葉が足りなかったようです。
私が「いまここは無い」と申し上げましたのは、「いまここは我々の認識の中には無い」と
いうことなのでした。「我々はいまここを認識できない」と言い換えてもよいでしょう。
ここに言う認識の意味を考えてみますとそれは、「我々はいまここを心で把握することは
できない」ということにもなり得ますしまた、「我々はいまここを客体化できない」とい
うことにもなり得ます。
とはいえ我々は、心(の感じる働き)によって“いまここ”を把握できたつもりになること
はあります。が、そのような場合、我々が心で把握しているのは実際は、私の流儀で言わ
せてもらえば「いまここ(今)の近似域」です。「いまここの近似域」なら我々は心で把握する
ことができます。しかし真の“いまここ”は心で把握することはできませんし、認識する
こともできません。

ですので我々は、「いまここに生きている」ことが自分で分かっている間は、もしくはそう
いう自覚がある間は実際は、「いまここの近似域」に生きていることになります。それは、
真の“いまここ”に生きている状態ではないということでもあるわけですが、だからと言
って前にも申し上げましたたように、私はそれを否定いたしません。ただ、それは悟りと
直結した真の“いまここ”に生きている状態とイコールではないとだけは申し上げたいで
すね。
 

記念すべき初のお返事ありがとうございます

 投稿者:中島タロー  投稿日:2011年 6月 7日(火)09時30分54秒
返信・引用
  > No.10[元記事へ]

行雲さんへのお返事です。

> おはようございます。
> いつの間にか、こんな掲示板が出来ていたのですね。
>
> 「いまここ」についてですが、何もそんなにかしこまることはないんじゃないんですか?
> 常に常に「いまここ」しか存在していないんですから、「いまここ」以外に生きる場所、人生の展開する場所はあり得ません。

初のお返事ありがとうございます。
おっしゃることは、よく分かります。私がああいう話を続けているのは「いまここ」は無いというとこ
ろに結論を持って行くための伏線みたいな面もあるんです。「いまここ」しか無いという見方と、
「いまここ」は無いという見方との間にある距離はある意味では大きいですが、また別の意味では微
かなんです。その微かな距離を私は今埋めようとしています。
しかし私はこれから外出しなければなりませんので、帰ってきたらまた、続きを考えようと思います。
やっぱりこういうお返事や、突っ込みがあると、とても嬉しいですね。
それから、「あの掲示板」での私へのお尋ねに対しても、後で感想を述べさせていただく予定です。
 

「今の近似域」の中の「今の隣接域」

 投稿者:中島タロー  投稿日:2011年 6月 6日(月)15時33分28秒
返信・引用 編集済
  私の言う「今の近似域」なるものが“今”の一瞬前後から数秒前後までを含む時間帯であ
ることは前に申し上げた通りです。が、その「今の近似域」の中でも特に、“今”に隣接
している時間帯すなわち“今”の一瞬前後のことは「今の隣接域」とこれからは呼ぶこと
に致します。
既述のように、「今の近似域」に我々が居る時は心の感じる働きが前面に出て来ておりま
すが、「今の近似域」の中でも特に“今”に最も近い「今の隣接域」に我々が居る時とい
うものは、その心の感じる働きは最もキメが細かく精妙なものになっております。ここで
顕在化しているのは潜在意識の中のより深い層すなわち無意識の領域だと言えます。
またこの「今の隣接域」は、多くの人たちが“今”そのものと誤認しやすい時間帯でもあ
ります。「今の隣接域」を“今”そのものと誤認した彼らはこう言います。「あらゆるモ
ノが存在している唯一の時間はこの今である」と。
が、彼らがそこで見ているモノとはモノそれ自体ではなく、感覚によって捉えられたモノ
に他なりません。
 

ちょっとした実験

 投稿者:中島タロー  投稿日:2011年 6月 6日(月)15時05分10秒
返信・引用 編集済
  一つ前の投稿で申し上げたことは、動いているモノを使って実験してみれば分かります。
動くモノの中でも特に、例えば雲のようなユックリユックリ動くモノが、この実験には
最適です。雲を見上げる機会があったら、関心のある方は試してみてください。
まず、どれでも好きな「ひとかたまり」の雲に眼を付けます。そしてしばらくしたら、
“今”在る現物の雲ではなく、数十秒前に在った雲に心を向けてみましょう。数十秒前
に在った雲に心を向けている時というものは、その雲について考えることはできるが、
その雲を感じることはほとんどできないということが、お分かりになると思います。こ
れと同じことは、数十秒後に在るであろう雲に心を向けている時にも当てはまります。
で、次は、数秒前に在った雲に心を向けてみてください。それによって分かるのは、先
ほどに比べて雲について考えることが困難になり、その分だけ雲を感じることが容易に
なるということです。これと同じことは数秒後に在るであろう雲に心を向けている時に
も当てはまります。
更に次は、一秒ほど前に在った雲に心を向けてみてください。そうすると、雲について
考えることは基本的にできなくなり、雲を感じることしかできなくなるということが、
お分かりになるんじゃないでしようか。これと同じことは、一秒後に在るであろう雲に
心を向けている時にも当てはまります。

前回の投稿で私は、こう申し上げました。
心を“今”在るモノに向ける度合いが低くなるほど思考が前面に出て来やすくなり、心
を“今”在るモノに向ける度合いが高くなるほど感覚が前面に出て来やすくなる、と。
以上の三段階の実験結果は、そのことの裏づけになっていると思います。まあ、実際に
やる間でもなく、頭の中のシュミレーションで済んでしまうような実験ではありますが
ね。
 

心の考える働きと感じる働き

 投稿者:中島タロー  投稿日:2011年 6月 6日(月)14時26分9秒
返信・引用 編集済
  大雑把な分け方ですが、心は思考(あるいは考える働き)の出所である顕在意識と、感覚(
あるいは感じる働き)の出所である潜在意識に二分できます。そして、前者が前面に出て
来やすい状況と、後者が前面に出て来やすい状況というものがあります。
具体的に申せば、心を“今”から遠ざければ遠ざけるほど前者が前面に出て来やすく、心
を“今”に近づければ近づけるほど後者が前面に出て来やすい、ということです。それは
とどのつまりは、こういうことでもあります。
心を“今”在るモノに向ける度合いが低くなるほど思考が前面に出て来やすくなり、心を
“今”在るモノに向ける度合いが高くなるほど感覚が前面に出て来やすくなる。
 

今の近似域を“今”そのものではないという理由で否定してはならない

 投稿者:中島タロー  投稿日:2011年 6月 4日(土)07時42分18秒
返信・引用
  フリーハンドで直線を引こうとしても決して直線にはならないのと同じように、“今”
に在ろうとしても決して“今”に在ることはできません。フリーハンドで直線を引いた
つもりでも直線に近い線にしかならないのと同じように、“今”に在るつもりでも私の
言う「今の近似域」にしか在ることはできません。が、その「今の近似域」が“今”そ
のものではないからと言って、否定されてよいものでしょうか? 否定されるべきもの
ではないというのが私の考えです。
 

今の近似域

 投稿者:中島タロー  投稿日:2011年 6月 4日(土)03時27分38秒
返信・引用
  “今”そのものではないが、“今”に極めて近い時間的な領域のことを私は「今の近似域」
と呼んでおります。「今の近似域」というのはもちろん私の造語ですが、もう少し具体的
に解説しますと、“今”(絶対の今)の一瞬前後から数秒前後までを含む時間帯のことです。
本音を申しますと実は、私が多くの方々にお薦めしたいのは、“今”に在ることではなく、
この「今の近似域」に在ることなのです。
“今”に在ることを求めるよりも「今の近似域」に在ることを求めよ、という運動をはじめ
たいぐらいのものですね。それは言い換えれば、悟りそのものを目指すよりも、悟りのチ
ョット隣(となり)を目指せってことでもあるわけですが私の場合、悟りについて色々語っ
ている割りには、悟りを多くの人にお薦めしたいって気はあまり無いのですよ。多くの人
が悟りに対して抱いている誤解を解きたいって気は非常にあるんですけどね。その証拠に
悟りを人様にお薦めするようなことを私が言ったことって無いでしょう。
それはともかく繰り返しになりますが、私が多くの人たちにお薦めしたいのは、“今”に
自分を置くことではなく、「今の近似域」に自分を置くこと、もしくは悟りそのものを目指
すことよりも、悟りのチョット隣を目指すことなのです。
この「今の近似域」の話はまた後でいたしましょう。
 

当掲示板をミーの連載文発表の場にするって手もある

 投稿者:中島タロー  投稿日:2011年 6月 3日(金)17時56分57秒
返信・引用
  皆さんからの投稿、ウェルカム状態です。
が、それはそれとしてもし仮に、万が一にも皆さんからの投稿が無かったとしましても、
私はこの掲示板を続けて行くつもりです。掲示板というのは(ブログもそうですが)ホー
ムページと違って、めんどうな手続き無しに投稿できるという便利さがあるからです。
それに読む側の人には、前の投稿をスクロールするだけで読めてしまうという便利さも
掲示板にはあります。もう一つ挙げるとすれば、たった一行の文から成る投稿でも、掲
示板の中では、そんなに体裁が悪くないってのもありますね。
そういう掲示板の良さを生かしながら、この掲示板を「今こことは何か?」をテーマとし
た私の話を、連載形式で発表し続ける場にすることもできます。もちろん、そうは言っ
ても掲示板は掲示板ですから、皆さんからの感想や質問や異論や反論などをお待ちする
姿勢に変わりがないのはもちろんです。私の予想ではこの掲示板は、掲示板の要素も兼
ねた、私の連載文発表の場になりそうです。

さて、ちょっとだけですが、話を本論に戻しておきましょう。
前回、前々回の話からもお分かりいただけたと思いますが、過去や未来と同じく今とい
うものもまた、現象界の様々なモノが存在している場所(時間的な場所)ではないんです
ね。過去は既に無く、未来はまだ無い、だから現象界の様々なモノが存在している場所
は今だけなんだというようなことがよく言われますが本当は、今においてもまた、それ
らは存在していないのです。それらが存在するために必要な時間の幅が、今には全く無
いわけですから。
 

/6