新着順:7/52 記事一覧表示 | 《前のページ | 次のページ》

「意見」はありません

 投稿者:OIVIS  投稿日:2011年 7月 4日(月)02時22分49秒
  通報 返信・引用 編集済
  > No.69[元記事へ]

行雲さんへのお返事です。

まず 最初から行雲さんは

>他人の体験を自分が追体験することは不可能です。
>自分の体験を他人に追体験してもらうことも不可能です。

>したがって、私の表現も「それ」の私的解釈の、私的語彙での表現でしかありません。

と言うご主旨で対論は平行線である事を告げていらっしゃいます
更に申しますと「今ここ」はこうであると言う話は「意見」のつもりでなくここに参加させて頂きました

以上の理由で行雲様の貴重な体験談に対する味わいはあっても意見はありません 悪しからず

ただ 上記の引用についてのみ意見を言わせて頂きますと
仰って居られる「他人に追体験出来ざるもの」は「人の人生」です
対して「いまここ」をふくむ「真理」というのは
何時の時代に何処で生れて どう「それ」に立ち会おうと
「1+1が必ず2」であるように必ず「ひとつ」であるものを「真理」と言うものではないでしょうか?

それは
一(中心)なる生命から発した個々の放射光線の進行たる「人生」は必ず進行方向に於て他と抵触(追体験)しない それがおのおのの人生体験であるのに対して

「真理」とは夫々の出発した大生命と言う基点の方角に属するものだから必ず「共通」してくるのではないでしょうか?

真理の発見は
「私の意見ということでならば」 決して十人十色の気付きようと言うものでは無いと思っています
であればこそ古今東西のそこここに同じ宝石の輝きとして残されて来たり紐解かれたりして来られたのではないのかなと・・・

なお これは「今ここ」に関する「意見」ではなく 対論の不成立に関する所感でした
 
》記事一覧表示

新着順:7/52 《前のページ | 次のページ》
/52