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伝説の伊藤史郎

 投稿者:Bob  投稿日:2011年 3月22日(火)18時04分56秒
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  筆者のご尽力に感謝します。
日本のモータースポーツ史を語る上でとても貴重な資料です。感激しています。
私は60年代後半、高校生の頃から4輪レースの世界に飛び込みました。
一時、MFJのライセンスをも取得し、2輪レース界の片隅をウロウロしていた事もあります。
2輪から4輪の世界に活躍の場を移した名選手や名監督と少なからず親交があったので、このサイトで彼らの若かりし頃の活躍を読み、改めて感激しました。
1961年、私は小学校5年生の秋から6年生の春まで、約半年間入院生活を強いられました。
そんな時、夜のラジオ番組に伊藤史郎さんが出演していたんです。
自動車好きの父親の影響で、それこそ物心付いた頃から自動車やオートバイに親しみ、レースにも強い関心が在った小学生の私は、「浅間高原レースの英雄、伊藤史郎」の名前を知っていました。
ラジオではアナウンサーのインタビューで番組が進行しました。
伊藤史郎さんは「海外のレースに挑戦する体制が整った」事を力説していました。
海外旅行が特別な存在だった当時の日本で、プライベーターが海外のレースに挑戦するなどと云う事が例えようも無い位に物凄い話なのだと、小学生の私は興奮しそして感激してラジオに聞き入りました。
ラジオを通して聴く伊藤史郎さんの声は、とても穏やかで爽やかさ冴え覚えました。
大昔の事なので、此処ひとつ記憶が定かでは無いのですが、インタビューの中で伊藤史郎さんが「F1出場」にも言及していた様に思うのです。
父に買って貰ったアメリカの自動車雑誌「Sports Car」や海外ニュースでF1に関する知識が若干在ったので、小学生の私は伊藤史郎さんの話を聴いて、病院のベッドの中でワクワクした覚えが在ります。
断片的だった伊藤史郎さんのその後の記録を、このサイトを通して知る事が出来ました。
小学校5年生の冬に途絶えていた伊藤史郎さんの記憶が、半世紀の時の流れを経て、このサイトを通してやっと終わりを告げまた様に思います。
日本の4輪レース界は、2輪レース界の名選手、名技術者、名メカニック、名監督に依って築き上げられたと言っても過言では在りません。
「日本モーターサイクルレースの夜明け」に益々期待しています。
 
 
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