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2015 賀正

 投稿者:水野青鷺  投稿日:2015年 1月 1日(木)10時42分53秒
返信・引用
  2015 賀正

 
 

夏のご挨拶?

 投稿者:水野青鷺  投稿日:2014年 7月22日(火)22時26分50秒
返信・引用
  暑中見舞  

2014年賀

 投稿者:水野青鷺  投稿日:2014年 1月 1日(水)09時38分52秒
返信・引用
  2014年賀

http://www2u.biglobe.ne.jp/~heron/

 

2013暑中見舞

 投稿者:水野青鷺  投稿日:2013年 7月 9日(火)13時30分28秒
返信・引用
  2013暑中見舞

http://www2u.biglobe.ne.jp/~heron/

 

2013年賀

 投稿者:水野青鷺  投稿日:2013年 1月 1日(火)01時01分13秒
返信・引用
  年賀状

http://www2u.biglobe.ne.jp/~heron/

 

2012暑中見舞い

 投稿者:水野青鷺  投稿日:2012年 7月27日(金)16時31分15秒
返信・引用
  2012暑中見舞い

http://www2u.biglobe.ne.jp/~heron/

 

古田武彦氏の講演会

 投稿者:プジョー106  投稿日:2012年 6月11日(月)22時27分46秒
返信・引用
  ついに名古屋で古田武彦氏の講演会が開催されます。
名古屋で開催される最後の講演会になると思われます。

■ 愛知サマーセミナー2012 ■

1 日  時 : 2012年7月15日(日)
        13時10分~16時10分
2 場  所 : 愛知東邦高校
       名古屋市名東区平和が丘3丁目11番地
       地下鉄「一社駅」徒歩12分
3 演 題 : 「真実の学問とは何か
       ~ 「邪馬壱国」と「九州王朝」論 ~
4 参加費 : 無料

http://www.geocities.co.jp/furutashigaku_tokai/index.htm

 

同じお話ですみません。

 投稿者:ご先祖様を調べている人  投稿日:2012年 4月28日(土)21時44分42秒
返信・引用
  水野様、寺田様、

初めまして。袋井市出身で旧姓寺田です。お忙しい中失礼いたします。
同じお話をしていらっしゃる方がいらして驚きました。(2007年寺田晋也様ご投稿分)
また、内容を拝見し、多分寺田晋也様とは親戚であると推察致します。

私も同じく、祖父から水野家の系列であることを聞きました。
長男は、水野家刈谷城主、次男は沼津城主、三男は藤枝城主、
四男は「大橋家」に、五男は「寺田家」になったと聞いております。
戸塚家というのは初めて聞きました。三男でしょうか??(不明)

その五男は、袋井市堀越に館を構え、以後寺田家が続きます。
寺田家自体は第13代が七平、14代が彦太郎、15代が直太郎との事です。
私の実家も家紋は丸に抱き沢瀉で可睡斎がお寺となります。


水野忠直に繋がるそうで、どうやら~水野ただつね辺りから
枝分かれしたような話を聞いたのですが、どこかで違う情報が
混じったのでしょうか、いろいろ調べましたが繋がりがいまいち
はっきりせず、このHPに当たりました。

水野家から寺田家や大橋家等に分家した形跡がないとの事でしたので、
残念ではございますが、いつか、このあたりの解明が
出来ればいいなぁ・・・と願っております。

 

おしらせ

 投稿者:水野青鷺  投稿日:2012年 4月14日(土)12時02分27秒
返信・引用
   4月16日から約一ヶ月間、所用により不在となりますので、その間メールおよびコメント等をいただきましても対処いたしかねます。
 悪しからずご了承くださいますようお願い申し上げます。
                              水野青鷺

http://www2u.biglobe.ne.jp/~heron/

 

Re: 水野青鷲さまへお伝えします。

 投稿者:水野青鷺  投稿日:2012年 2月21日(火)15時36分19秒
返信・引用
  > No.51[元記事へ]

mozaemonさんへのお返事です。

 こちらこそ勝手言いまして申し訳ございません。
「瀬戸市近世文書集」および「沓掛村名続記」のご確認ありがとうございました。

水野氏史研究会掲示板は、先程確認し公開致しました。
この先は、上記掲示板で遣り取り致しますので、どうかよろしくお願い致します。
先ずは、取り急ぎ確認と御礼まで。

 

http://www2u.biglobe.ne.jp/~heron/

 

水野青鷲さまへお伝えします。

 投稿者:mozaemonメール  投稿日:2012年 2月21日(火)13時23分20秒
返信・引用
   「水野三郎左衛門家」についての投稿を、ブログの性格が判らないまま書込み大変失礼しました。
 早速、水野氏研究会掲示板の方へ書き込みます。
 なお、ご指摘のとおり「瀬戸市近代文書集」は「瀬戸市近世文書集」の誤りです。また「名続記」は「沓掛村名続記」のことです。誤読や略記に気を付けます。今後ともご指導賜りますようにお願いします。mozaemon記
 

Re: 初代「水野三郎左衛門家」のレポートについての一考

 投稿者:水野青鷺  投稿日:2012年 2月21日(火)06時55分40秒
返信・引用
  > No.49[元記事へ]

mozaemonさんへのお返事です。

 この度は「水野三郎左衛門家」についての、ご丁寧なご意見およびご指摘をいただきまして、誠にありがとうございました。
このところ生憎年度末などで立て込んでおりますので、ご指摘にお答えするには、時間を頂けたら幸いに存じます。
  さて、ご主意は、「寄稿文原作者に一考の課題を問いかけに到った次第です。これから寄稿文原作者と討議し、見解を統一したく投稿します」、また「今後も、識者と交えて水野三郎左衛門考の究明を続けたいと思っています」とお書きになっておられますが、この掲示板は∞ヘロンこと、水野克彦(青鷺)の個人ブログ用掲示板ですので、寄稿文原作者というよりは、ブログの管理者になります。「寄稿文」とされましたのは、もしかして私が所属する水野氏史研究会に寄稿した記事(∞ヘロン「水野氏ルーツ採訪記」と同文)をさしておられるのでしょうか。また「今後も、識者と交えて水野三郎左衛門考の究明を続けたい」とのご趣旨でしたら、この「∞ヘロンの掲示板」の性格上、不向きかと思れます。
 mozaemon様のご主旨でしたら、むしろ水野氏史研究会の掲示板にお書き込みいただいた方が、適しているのではないかと思いますので、たいへん御手数をおかけし恐縮ですが、
この掲示板にお書き込みいただいたものと同文の書き込みを「水野氏史研究会掲示板」に再度お書き込みいただけたら幸いです。どうかよろしくお願い致します。
 尚 失礼ながら、「瀬戸市近代文書集」は「瀬戸市近世文書集」だと思います。また「名続記」は、「沓掛村名続記」のことでよろしいでしょうか。お伺い致します。

水野氏史研究会掲示板
http://mizunoclan.bbs.fc2.com/


http://www2u.biglobe.ne.jp/~heron/

 

初代「水野三郎左衛門家」のレポートについての一考

 投稿者:mozaemonメール  投稿日:2012年 2月20日(月)17時44分46秒
返信・引用
  R-1平氏系桓武平氏水野氏譜〔13版〕<上氏譜に嗣氏譜>「水野三郎左衛門家」のテーマより

「初代水野三郎左衛門について、御林方奉行水野権平家伝系譜では、十三代致勝(権平家祖)の兄に「久右衛門」の名が記されているが、両者の父親は十二代致正(右京亮 初名 新右衛門)と記載され、三郎左衛門とは明記されていないものの、本貫・年代ともに整合性があり、現時点においては、これに代わる信憑性の高い系譜が散見されないことなどから、暫定的な措置として「三郎左衛門を致勝と同一人物」と見なすこととした。」とレポートされているが、水野右京亮致正と水野三郎左衛門を同一人物と断定することは暫定的であっても些か短絡的な結論付ではなかろうか。寄稿文原作者に一考の課題を問いかけに到った次第です。これから寄稿文原作者と討議し、見解を統一したく投稿します。
寄稿文原作者が採用された資料「瀬戸市近代文書集 第4集」は、御林方御案内役を勤めた加藤正左衛門の末裔たる加藤正男氏が公開された「沓掛村名続記」に基づき、寄稿文原作者が独自に推断された見解です。底本の沓掛村名続記の信憑性を考察すると、この古文書には寛永4年(1751)の村中家並員数が記されており、作成時点の村人の家歴を過去に遡って調査して編纂したものと思われます。しかも、それ以降についても一定の追跡記録を加筆したものと思われます。(松本宗家については幕末まで記録)
何故このようなことができたかと想像すると、底本篇者の初代加藤正左衛門は松本宗家五代目茂左衛門の子で、最初は定光寺御廟番に就き、後に御林方御案内役へ昇進した人物であり、宗家六代目を継いだ兄の仁兵衛を凌ぐ能力を持つ人物で、村民の信頼が厚く情報入手が容易であったことが考えられます。その情報源としては檀徒総代あるいは庄屋が管理していた宗門人別改帳の手控えが考えられるが、折しも将軍吉宗の享保の改革が進み、人口や田畑の数量の調査が詳細に行われた時期とも重なり、比較的正確に調査された内容と承知します。しからば何処の村でも「名続記」が作成されているかといえば、私の知る範囲ではその例を見ません。たぶん当時の沓掛村(現.定光寺町)は隔離された山里でもあり、他の地域との交流は比較的少なく人口変動が抑えられて編纂が容易であったこともあり、記載内容も信憑性は高いと思料します。
また、「瀬戸市近代文書集 第6集」の茂助家文書であるが、初代茂助は松本宗家八代目茂左衛門の次男で、宗家家督を継いだ三男の九代目茂左衛門の兄である。早くから御林方役所に勤め、文筆能力に長けていたため手代から支配勘定組頭格にまで登り詰めた人物であると窺う。その能力を認められ居館としてあてがわれた御林方御役屋敷は、今で言うなら官舎の如き施設で、急を要すときには直ちに役所へ駆けつけることのできる場所に造られたと思われる。手代の仕事は役所の事務方で大変忙しく、文筆に優れた人材を必要としたので、奉行の信頼も厚く御林方御役屋敷には沢山の資料が残ったと思われます。5軒あった手代屋敷も今では茂助家のみとなってしまったが、それでも数多くの古文書が残されており、瀬戸市近代文書集も第7集まで2編に分けて作成されています。
さて、本題の「三郎左衛門を致勝と同一人物」と見なす件であるが、私は次の3つの疑問点から「三郎左衛門と右京亮致勝は別人」であると推断します。
第1疑点は、松本宗家には、始祖三郎左衛門について法名.仁雲道壽居士、その妻は雪岩永松大姉と刻した墓石と位牌が存在するのに、名続記に三郎左衛門の子と記される久右衛門については墓石もなければ位牌もなく、葬送の事跡がまったく見受けられないということです。「名続記」は編纂から150年程前に遡って追憶から記されたもので、過去の実態が伴っていない人物を何故記したものかは大いに疑問が残り、今では知る由もないので、久右衛門は存在しなかったと結論付けるしかないと思う。私独自の仮説であるが、久右衛門とは三郎左衛門が別名として使い分けた通称で、後世では恰も二人の人物が存在したように伝えられたのではないかと推測する。したがって「久右衛門こそ三郎左衛門と同一人物」とみなす説を提唱します。
第2疑点は、時代考証を正確に行うと、両者の生存時期が微妙に異なっていることです。
右京亮致正は美濃国野尻邑から天文16年(1547)に水野へ帰住したとされている。仮に30歳で帰住したのなら致正の生誕は永正12年(1517)、40歳で帰住したのなら永正4年(1507)、20歳で帰住したのであれば大永7年(1527)となる。
一方、三郎左衛門は元和9年(1623)没となっているから、仮に60歳で死去したのであれば生誕は永禄7年(1564)、50歳で死去したとすれば天正2年(1574)、70歳で死去したとすれば天文23年(1554)となる。双方の時期を比較計算すると最短でも27年間の開きがあり、当時の寿命実態から97歳の長命は考え難い。したがって、両者の生存年代は一致しないと結論付けます。
第3疑点は、松本宗家では古から「三郎左衛門の原住地は水野村中水野西北部の下水野に近き辺で、俗に「七郎左邸」という所」と言い伝えられていることである。400年以上前のことであるから伝説を裏付けることはできないが、当該地を推定すると瀬戸市三沢町に定光寺末寺の東光寺という禅寺がある。尾張徳川藩主が藩祖源敬公御廟へ参詣するための殿様街道は、東光寺の横を通り抜けて山中へ入り定光寺へ通ずるが、東光寺北西の平地に櫻井七郎左衛門という大庄屋が住み、広大な邸宅を構えていたので「七郎左邸」と呼ばれていた。この辺りには当時かなり大きな集落があったことが想定でき、此処から沓掛村へ移住したものと思われる。
一方、水野村史年表には天文16年(1547)に「致高五代の孫致正、織田信長に仕え野尻より帰りて上水野郷に住む」と記されている。上水野村の詳細な地名は書かれていないが、御林方役所があった北脇を指すものと思われ、現在の瀬戸市水北町と推定できる。双方は比較的近い距離にあるが、まったく異なった場所である。
以上により、私としては「三郎左衛門を致勝と同一人物」説を容認することができません。
しからば、三郎左衛門はいったい何者か。以下について、私の推論を述べたい。
先ず、松本宗家系譜にない「名続記」の久右衛門とは何者か。
水野権平家伝系譜記載の右京亮致正の長子の久右衛門について考察すると、次男の久次郎致勝が兄をさしおいて家督を相続しているので、水野家に内訌があって兄の久右衛門が沓掛村へ身を隠し、三郎左衛門を名乗ったということが考えられる。しかし、久次郎致勝は天文18年(1596)に死亡しているが、三郎左衛門はその後28年間生存したことになる。致勝の兄がはたしてそんなに長命であったものか、不可能ではないが甚だ疑問が残る。さらに言えば、致勝の子の太左衛門致重が三郎左衛門の子(孫)の茂左衛門を重用し、林方御案内の役をこなしているが、内訌があった兄弟の子同士が簡単に和解できたとは考えられない。権平家伝系譜でも久右衛門の消息についてまったく触れられていないし、松本宗家にはそれらしき伝記も伝説も残されていない。
次に右京亮致正の三男の治右衛門勝正について考察すると、勝正は若くして柴田勝家に仕え、元亀2年(1571)長島の合戦において16歳の若さで武勲を挙げた記録が残っている。勝家軍が敗れたので勝正は水野郷に引きこもり帰農したことが記されている。権平家伝系譜では勝正のその後の消息にまったく触れられていないが、信長・秀吉の時代には敵方の武者が表舞台に登場できず、隠遁生活を送ったことも十分考えられる。仮に致勝が三郎左衛門とするなら、三郎左衛門の没年には68歳となり時代考証では矛盾しない。しかし、この仮説も根拠となる証拠が何もない。
さらに考えを進めて、建武中興・室町幕府草創の時期まで遡った水野郷の権力構造はどうであったか考察してみた。寛政4年(1794)調製の中水野村絵図には、「水野左衛門尉城跡」と称される城館跡が記されている。これは別称「中郷の館」とも呼ばれており、古からの伝承は水野中郷には「大平山城」と「新道城」の2城があったので、そのどちらかの城郭であろうと云われている。また「水野左衛門尉城跡」は位置的に「七郎左邸」に近似している。その城主は権平家伝系譜の左衛門尉致国「平七」とされている。その根拠は、「左衛門尉」の官位を拝領しているのは、刑部左衛門尉高致(弘安4年没1281)、その子. 左衛門三郎致氏及び左衛門尉致国「平七」の兄弟、致氏の嫡子. 左衛門尉致顕「平太」の4人が該当するが、刑部左衛門尉高致が水野郷へ帰住した場所は入尾城(現.瀬戸市鹿乗町)となっており、その曾孫の当る備中守致高(致顕「平太」の子)も居館は入尾城と記されているので、中間の家督者である致氏や致顕は当然に入尾城主であったと解される。一方で太田正弘著「定光寺誌」によると、室町幕府の開府前後(1335年頃)に定光寺開山に深く関わった人物として、「水野中郷殿」という人物が登場している。権平家伝系譜にも致国「平七」については「覚源禅師、建武3年(1336)致国宅に来り、暦応4年(1341)應夢山定光寺を開基し、致国帰依して菩提所に仕り候」と付記されていることから、定光寺開山に関わった「水野中郷殿」は致国「平七」であると推断でき、「水野左衛門尉城」と「中郷の館」が同一のものであるとすれば、「水野左衛門尉城」は致国「平七」の居館であった可能性が高い。その後、2世紀半も後のことになるが、致国「平七」の末裔が水野中郷で居住していて、その後に沓掛村へ移住したと推定することもできる。
また、権平家伝系譜によれば、備中守致高の子の平四郎頼致は土岐美濃守持益に仕え、永享2年(1430)に濃州野尻村へ移住し、子の平三郎致元と孫の平四郎致泰は同地に暮したと思われる。前記の如く致泰の子の右京亮致正が天文16年(1547)に上水野村北脇へ帰郷したので、おそらく水野家の家僕等も同行して帰郷したものと思われる。
松本宗家の屋敷内に「瀬戸の名木」に登録され、3月下旬に見事な花を咲かせる一重の枝垂れ桜の木があるが、この木の由来として代々伝承されているのは「先祖が昔、濃州苗木城下辺で暮らしていたが、関が原の合戦に参戦し、敗戦方となり水野へ逃れ、さらに沓掛へ身を隠した。そのときに苗木から持ってきたのがこの桜である。」この伝説の信憑性は低いが、岐阜県中津川市苗木町は同市付知町野尻にも近く、あながち間違いとも言い難い。ただし、関が原の合戦は慶長5年(1600)で半世紀も後のことであり、時期的には土岐源氏が衰退したので右京亮致正が勢力拡張期の織田信長に仕え直し、その主君に従って数人の家僕や極めて強い主従関係にあった者が、水野村各地に分散帰住したとする方が現実的な解釈であり、三郎左衛門もこの内の1人と考えるのが当然である。
色々な考察を重ねるが、いずれもこれが妥当という結論に達することができなかった。しかし、三郎左衛門が生存していた1560年前後から1623年までの間を、どのような経緯で、どのような生活を営んでいたかは判らないが、後に当家が世襲で林方奉行所へ奉職していた事績から、古より水野権平家に仕えていた家僕あるいは縁戚関係であったことは間違いないであろう。
今後も、識者と交えて水野三郎左衛門考の究明を続けたいと思っています。

 

(無題)

 投稿者:水野青鷺  投稿日:2012年 1月 1日(日)00時04分55秒
返信・引用 編集済
  2012年賀

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Re: 水野朝右衛門と云う人物について

 投稿者:水野青鷺  投稿日:2011年11月23日(水)10時50分10秒
返信・引用
  > No.46[元記事へ]

孫次郎さんへのお返事です。

> 初めまして。
> 此処をご覧になっていらっしゃる方々でご存知の方がいらっしゃいましたら御教示頂き度存じます。
> 此の「水野朝右衛門」は系図に「福嶋左衛門大夫様家臣」と有り、福島正則の家臣で有った事が判るのと、江戸時代初期の人物で有る事しか当方では把握しておりませんで、此の人物の経歴、先祖・子孫について何らかの手がかりが有ればと存じます。
> 宜しくお願い致します。



 孫次郎さん、ようこそお越しくださいました。〝 ∞ヘロン「水野氏ルーツ採訪記」〟をご覧になって、この掲示板にお書き込みいただいたのでしょうか。
ビジターのみなさまからは、現時点でコメントがないようですので、管理者の水野青鷺からご返事させていただきます。

 お尋ねの「水野朝右衛門」については、私も初めて聴くお名前ですが、福嶋左衛門大夫様家臣とのことですので、〝 ∞ヘロン「水野氏ルーツ採訪記」〟既投稿記事――
E-1>「金切裂指物使番」にみえる「水野久右衛門尉」(補遺1)
http://blog.goo.ne.jp/heron_goo/e/56577a21801e6e4307dd5c939df7388c
――の中にある、水野久右衛門尉と妻である於鍋(福島正則の妹)の息子「水野内記」のことか、あるいはその息子ではないかと考えております。

http://www2u.biglobe.ne.jp/~heron/

 

水野朝右衛門と云う人物について

 投稿者:孫次郎メール  投稿日:2011年11月15日(火)10時01分30秒
返信・引用
  初めまして。
此処をご覧になっていらっしゃる方々でご存知の方がいらっしゃいましたら御教示頂き度存じます。
此の「水野朝右衛門」は系図に「福嶋左衛門大夫様家臣」と有り、福島正則の家臣で有った事が判るのと、江戸時代初期の人物で有る事しか当方では把握しておりませんで、此の人物の経歴、先祖・子孫について何らかの手がかりが有ればと存じます。
宜しくお願い致します。
 

【Event】「鍋屋町清洲越400年記念講演会」のお知らせ

 投稿者:水野青鷺  投稿日:2011年 8月23日(火)02時14分6秒
返信・引用
   今般、本掲示板管理者が所属する、水野氏史研究会において「第1回 水野氏史研究会主催講演会」を開催する運びとなりましたので、ご案内をさせていただきます。
 本講演会開催につきましては、先般、岐阜県の各務原歴史研究会様から、水野氏史研究会にご依頼があり、水野氏史研究会の初出講を7月16日に行ったことに起因しており、その直後、当日不都合でご参加いただけなかった諸氏より、同じ内容の講演会を名古屋において開催するようご要請いただいたことを契機とします。
さらには、先般の講演会でも触れましたが、鋳物師水野太郎左衛門一門の故地が、名古屋市東区であることから、支援者の助言を得て、会場を同区に設営し下記の趣旨に基づき開催することにいたしました。

 今般の本会主催講演会の趣旨を次に記します。

 昨年は名古屋開府400年の記念の年でしたが、本年は清須越の一環として清須集住の鋳物師達が、大挙して鍋屋町(現在の名古屋市東区泉2)に引っ越してきてから400年の記念の年となります。
その後、第二次世界大戦後までの330年余、この地で尾張藩の庇護の元、鋳物師達は大いに活躍しました。
 これに因み、水野氏史研究会では〝鍋屋町清須越400年〟を記念し、織田信長の時代から江戸時代まで続いた、鋳物師水野太郎左衛門一門の営みを、皆様とともに考えてみたいと思います。

 題目の「水野太郎左衛門」につきましては、織田信長から許可を得て、尾張一国の鉄器・青銅器等を一手に扱う鋳物師頭となり、その後も領主が替わる度毎に許可の判物を頂戴し、幕末まで引き続き尾張で活躍しました。

 このように、題目の「水野太郎左衛門」の主な舞台が、上述の旧鍋屋町であることから、出来るだけ多くの地元関係諸氏のご参加をいただきたいことや、名古屋近郊在住者のアクセスの便宜を図ることを目的として、名古屋市東区で開催することとなりました。この開催を力強く後押くださった方々に感謝申し上げます。

 尚 水野氏史研究会主催講演会は、今回が初回となりますので、ご都合のつかれる方々は、ぜひともご参加下さいますようお願いいたします。
詳細につきましては、水野氏史研究会ブログ記事をご覧下さい。
http://mizunoclan.exblog.jp/15307513/

http://www2u.biglobe.ne.jp/~heron/

 

2011暑中見舞

 投稿者:水野青鷺  投稿日:2011年 7月 8日(金)14時28分35秒
返信・引用
  2011暑中見舞

http://www2u.biglobe.ne.jp/~heron/

 

【Event】「各務原歴史研究会 講演会」へ出講します

 投稿者:水野青鷺  投稿日:2011年 6月16日(木)03時18分48秒
返信・引用
   今般、各務原歴史研究会様から、水野氏史研究会にご依頼があり、別のように出講することになりましたのでご案内いたします。水野氏史研究会として出講するのは、今回が初めてとなりますので、ご都合のつく方は、ご参加下さいますようお願いいたします。
 題目の「水野太郎左衛門」につきましては、織田信長から許可を得て、尾張一国の鉄器・青銅器等を一手に扱う鋳物師頭となり、その後も領主が替わる度毎に許可の判物を頂戴し、幕末まで引き続き尾張で活躍しました。
 尚 詳細は、本会ブログをご覧下さい。  http://mizunoclan.exblog.jp/14947445/

http://www2u.biglobe.ne.jp/~heron/

 

【Event】愛知県図書館企画展示・関連講演会のお知らせ

 投稿者:水野青鷺  投稿日:2011年 5月28日(土)18時07分57秒
返信・引用 編集済
   今般下記のように、企画展示・関連講演が開催されますのでお知らせします。
「水野氏関連」として「於大の方」と、その子息・徳川家康のゆかりの女性たちが、近世の歴史を支え動かした、その生き方に焦点を中てた企画内容となっています。

============================
愛知県図書館の公式サイトへのリンク→ URLに埋め込んでいます。


テーマ「戦国・江戸の女たち」
 尾張に生まれ、家康の母となる「於大の方」、浅井三姉妹、春日局、篤姫、和宮 等々、徳川家ゆかりの女性など、戦国・江戸時代に生きた女性に関する歴史書、小説など約300冊を集めた企画展示。


●愛知県図書館 企画展示
テ ー マ:戦国・江戸の女たち
期     間:平成23年5月13日(金)~7月13日(水)
内     容:「江」や「篤姫」など徳川家にまつわる人物を中心に、戦国・江戸に生きた女性に関する図書を展示・貸出します。
会     場:1階ロビー
展示資料  :(水野氏関連を一部抜粋)
      村瀬 正章『徳川家康生母於大の歴史と遺跡めぐり』(中日出版社 2007 年)
        ※地域資料のため館内でご利用ください

●関連講演会(『愛知県史』資料編13 織豊3  の刊行に合わせた講演会)
テ ー マ:『愛知県史 資料編13 織豊3』の刊行にあたって
題目・講師:Ⅰ「秀次事件と女性たち」
        四日市大学教授 播磨良紀(はりま よしのり)氏
      Ⅱ「地域と女性の視点から見直す関ヶ原の戦い」
        岐阜工業高等専門学校教授 山本浩樹(やまもと ひろき)氏
日     時:平成23年7月9日(土)午後1時~午後4時
場     所:愛知県図書館 5階大会議室
共     催:愛知県県史編さん室
申込方法  :事前に「県史編さん室」までお電話でお申し込みください。
受付開始  :6月6日(月)から 先着200名 ※参加費無料
申込問合先:愛知県県史編さん室 TEL 052-972-9172(平日午前9時から午後5時30分まで)


http://www.aichi-pref-library.jp/tenji.html#sengoku

 

大地震お見舞い申し上げます

 投稿者:水野青鷺  投稿日:2011年 3月12日(土)10時55分40秒
返信・引用
  各位

 大地震が起き、昨日からTVで、ほんとうに悲惨で心の痛む情景が流れておりますが、
皆様方の被害状況は如何でございましょうか。
 御身とご家族ご親類縁者のみなさまのご無事と、できる限りの少ない被害とを願って
心からお見舞い申し上げます。

                              ∞ヘロン

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2011年賀

 投稿者:水野青鷺  投稿日:2011年 1月 1日(土)00時20分2秒
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   昨年は一方ならぬお引き立てにあずかりまして誠にありがとうございました
今年もよろしくご支援の程お願い申し上げます

 平成廿三年 元旦


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Event「清須返し 時代絵巻」水野千之右衛門翁

 投稿者:水野青鷺  投稿日:2010年 9月28日(火)10時35分0秒
返信・引用 編集済
  Event「清須返し 時代絵巻」水野千之右衛門翁

主  催:清須越四百年事業実行委員会
日  時:平成22年10月10日(日) 午前10時~午後4時(予定)
         ※荒天の場合など、気象状況により11日(祝)に順延する場合があります。
お知らせ
10月10日(日曜日)に行われます清須越四百年事業 清須返し時代絵巻の「時代行列」の開始時間が、気象状況により当初の午前11時から2時間遅れの午後1時となりましたのでお知らせいたします。 ご理解とご協力をお願いいたします。
■問合せ 清須越四百年事業実行委員会事務局[清須市役所 企画政策課内] 電話 052-400-2911(代表)
行列区間:みずとぴぁ庄内 ~ 清洲公園駐車場までの美濃路一帯(最長約6キロ)
     武者行列、引越行列、各地区の特色を活かした市民参加の行列により、四百年の道のりを時代行列として、新川やると祭、清洲城ふるさとまつりを時代絵巻に含めて演出します。時代行列は午前11時にみずとぴぁ庄内を出発し、美濃路を通り清洲城を目指します。そして午後2時ごろから、清洲公園駐車場の特設ステージに順次ゴールします。


★今般、「清須返し 時代絵巻」で、水野千之右衛門翁役で行列に参加される、清水さんから、本イベントのことをお知らせいただきましたので、みな様にご紹介いたします。
時代絵巻および水野千之右衛門翁につきましては、下にリンクしたURLで詳細をご覧下さい。

◆清須返し 時代絵巻
http://www.kiyosu400.jp/index.php/eventcalender/eventdetails/jidaiemaki.html

◆水野千之右衛門
http://blog.goo.ne.jp/heron_goo/e/dc15aa0f32e7cc073e922d8bc7025cc5

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2010暑中見舞い

 投稿者:水野青鷺  投稿日:2010年 7月17日(土)12時07分18秒
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  暑中見舞い

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「江戸時代の刈谷藩」展――維新の真の魁・天誅組

 投稿者:水野青鷺  投稿日:2010年 1月10日(日)16時57分10秒
返信・引用
  ◆展示会のご案内
 この度、愛知県刈谷市において、下記の通り「水野氏」に関する展示会が開催されますので、ご案内いたします。
 尚 記事の転載につきましては、財団法人 刈谷頌和会 会長 高野基弘氏のご了解を得ております。


「江戸時代の刈谷藩」展――維新の真の魁・天誅組

 日 時  22年1月26日(火)~1月31日(日) 9時~17時まで
 場 所  愛知県刈谷市美術館
            〒448-0852 愛知県刈谷市住吉町4丁目5番地 TEL.0566-23-1636
 入 場  無料
 主 催  財団法人 刈谷頌和会
 後 援  刈谷市・刈谷市教育委員会・「維新の魁・天誅組」保存伝承・顕彰推進協議会・東吉野村教育委員会ほか


 刈谷は、戦国時代の文明八年、水野氏が知多・緒川から進出して築城し、初代城主忠政、二代信元、三代忠重と続き、幕藩体制となって初代藩主に忠重の嫡子水の勝成がつき、以後二十二代藩主土井利教まで、家康の生母於大の方の実家として、常に徳川親藩として幕府を支えた歴史ある城下町であります。
 展示会では、刈谷藩と徳川家並びに土井家との関係、刈谷藩と福島藩の関係、主だった人物として初代藩主の水野勝成、幕末の国難を憂い初めての武力による討幕に立ち上がった天誅組に、脱藩して参加した松本奎堂・宍戸弥四郎の二人の志士、陸軍奉行に任ぜられながら天誅組に松本奎堂・宍戸弥四郎が参加した咎めで失脚した土井利善、土井家の始祖で、三代将軍家光のとき智の大老といわれた土井利勝、藩医で文学者としても名高い村上忠順などを中心に遺品、遺稿、城絵図、その他関係資料を展示して刈谷藩の歴史を紹介します。(刈谷頌和会)

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2010賀正

 投稿者:水野青鷺  投稿日:2010年 1月 1日(金)00時00分52秒
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  謹賀新年

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『桶狭間-神軍・信長の戦略と実像』

 投稿者:水野青鷺メール  投稿日:2009年12月 5日(土)18時51分2秒
返信・引用
 

 水野氏史研究会委員の 江畑 英郷氏が、今般、初刊『桶狭間-神軍(かみいくさ)・信長の戦略と実像』を上梓されましたので、
御案内いたします。
 江畑氏と私との関係は、本ブログ ∞ヘロン「水野氏ルーツ採訪記」に度々コメントや助言をいただいたことが始まりで、その後
親交を深め、昨年、水野氏史研究会委員にご就任いただきました。
現在は「水野氏と戦国談議」で座長となり、健筆をふるっていただいております。
江畑氏は、従前よりご趣味で「桶狭間の戦い」に強い関心を持っておられ、古戦場跡にも度々採訪し取材を進めてこられました。
こうした取材に基づき、多くの史料の裏付けにより、現在は通説となりつつある信長の正面攻撃説を見事に覆し、また『信長公記』
を慎重に読み解き、その謎の数々を解明し、何度も推敲を重ね、今般漸く刊行する運びとなりました。
 ご存じの通り、来年は桶狭間の戦い450年記念の年となりますので、誠に時機を得た出版であり、その反響を大いに期待した
いところでございます。
   私も草稿の段階から試読しており、本著における史料の多用さにも感心しますが、『信長公記』の緻密な解読による思いもかけ
ない展開には、著者の高才の一端がうかがわれ感服する次第です。
このような素晴らしい研究成果を、多くのみな様にご高覧いただきたく推薦させていただきました。 ただいま予約受付中ですので、
ぜひともご購読下さいますようお願い申し上げます。


『桶狭間-神軍・信長の戦略と実像』江畑英郷著 カナリヤ書房 ¥ 1,680

歴史に燦然と輝く奇襲劇 『桶狭間の戦い』

その舞台裏を紐解く、衝撃の作品!
新進気鋭の著者が歴史の常識を覆す。

織田信長が戦国時代の桧舞台に躍り出たキッカケとなる
劇的な奇襲劇「桶狭間の戦い」。
その鮮やかさこそが、信長の鬼才・天才ぶりを世に知らしめることになった。
ところが、そんな「桶狭間の戦い」にカラクリがあったとしたら?
後世の歴史書が伝える「桶狭間」の隠された真相とは?
常識を覆す「桶狭間」論を展開する歴史ファン必見の1冊です。
 (カナリヤ書房)

 

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「880周年」

 投稿者:水野肥後守青鷺メール  投稿日:2009年 9月 3日(木)18時28分1秒
返信・引用
   大治四年(1129)、鎮守府将軍 平 良兼の子孫である「平 景貞(滝口影貞)」が、入尾(いりお、愛知県瀬戸市)に入郷し、入尾城を築き、姓を水野と改めたことにより、景貞が「水野氏の始祖」となりました。
今年2009年は、大治四年(1129)、「桓武平氏水野氏発祥」から数えて、区切りの良い「880周年」にあたります。

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Information

 投稿者:水野肥後守青鷺メール  投稿日:2009年 8月16日(日)03時51分53秒
返信・引用
   ∞ヘロン「水野氏ルーツ採訪記」は、8月15日で、訪問者が70,000人、閲覧者が210,000を超えることができました。
これも偏に本ブログをご愛顧いただきました皆々様のお陰と、改めまして厚く御礼申しあげます。
これからも、ご贔屓お引き立て賜りますようお願い申し上げます。

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ごぶさたです。

 投稿者:Iwarehiko  投稿日:2009年 5月22日(金)11時20分17秒
返信・引用
  ヘロン様御無沙汰しております。
当方は私生活がちょっとドタバタしておりHPの更新もままなりません。

ところで以前こちらの掲示板に書きこんだ丹波柏原藩平姓水野氏についてですが、
加賀藩の浅香家(千四百石)も同族の様ですね。
水野光信(仕北畠具教>蒲生氏)─
水野三郷(改名浅香左馬介。仕織田信雄>蒲生氏>豊臣秀頼>浅野幸長>前田利常。二千石)─
水野九郎右衛門(仕織田信雄。二百五十石)
三郷の子供の代で別れたようですね。加賀の浅香家は加賀藩の藩士系図に載っていそうですね。

http://iwarehiko.web.fc2.com/index.html

 
    ((水野肥後守青鷺))    from ∞Heron

Iwarehikoさん
「水野光信」につきましては、Iwarehikoさんから、旧掲示板に確かにお書き込み頂いておりました。――
「柏原藩平姓水野氏は存じませんでした。
 早速調べてみます、どうもありがとうございました。」
とお返事しておきながら、その後この系圖についてはどうした訳なのか、何ら手付かずのままのようでした。(この頃記憶がよく飛ぶので困ります。(^^;    )
今般改めてご教示いただき、初めて気がつきました。折角お教えいただきましたのに、ほんとうに申し訳なくお詫びいたします。m(__)m
  この光信以前については、今のところ判明しませんが、以降を「柏原織田家臣系譜」の水野として系圖を投稿したいと思います。 また、「加賀の浅香家」にも興味がありますので、一度調べてみます。
 

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